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家族

摂食障害は、親の愛情に飢えて発症する場合もある。
このページは私の家族について書いてみる。

+ 家族 +

笑いが無い家族。

チチもハハも冗談を言わないし、ボケもツッコミができない人だ。
だから、アニも私もそういうものとは無縁で育った。
冗談がとびかったり、ツッコンだりボケたりで笑いが起きるなんて
そんな空気は微塵も無かった。
今も無い。

アニは小学生の頃、友達の家に遊びに行って
冗談を言って笑わせてくれる友達のお父さんを見て、ビックリしたらしい。
笑いが起こる空間、こんな家族が存在するのか・・・ 相当なショックだったらしい。

私も同じような経験がある。
中学の友達は、楽しそうによく家族の話をしていた。
ご両親はとても仲がいい。手をつないで歩くらしい。
同世代の人で、そんな光景って・・・ 外国の話かと思うくらい想像もできなかった。

チチハハが意気投合して談笑している、そういう光景を見た記憶はない。
お互いに目を見つめて会話する姿も、見たことない。
今も無い。

+++++

チチハハから褒められた記憶はない。
これは「褒める」という習慣がなかっただけだと思う。

悪いところを指摘して諭すという育て方。
それはチチハハが、“親”として、
子供の為になると信じて懸命にやってきたことなのだ。

+++++

チチともハハとも、私は意思の疎通がむずかしい。
ハハとは会話をしていても、肯定を求めているのか何なのか、
今もさっぱりわからない。

「子供の頃、叩かれたことはないよね」
と私が聞いた時。
小学校卒業するまでは、ハハ手製の手作り服も着ていた。
幼少の頃、手作り服が気に入らないとグズって嫌がった時、
チチが私を平手打ちしたらしい。
「その後は、まったく嫌がらなくなったのよ」
ハハが私にその話をしているとき
そばで聞いているチチは、満足そうな顔をしていた。

叩いたのは、その時だけらしい。
私はそのときの記憶は無いし、実際その後も叩かれたことはない。

+++++

メンタルクリニックへ通院しはじめてしばらくたった頃、
ハハが私に本をくれた。
摂食障害で自殺した娘のことを母目線で書いたノンフィクション、そんな感じの本。
私は、それを読むことはできなかった。
表紙を開くことさえ、イヤだった。
そのことに罪悪感を覚えた。

診察の時、ハハに悪いと思う気持ちを泣きながら話した。
先生は私の目を見つめて、言った。
「泣くことないよ。
 だって、あなたのお母さんがおかしいでしょ。
 そんな本を、あなたに渡すお母さんがおかしいでしょ。
 泣くことないよ。
 気にしないの、ね。」

私はその時、ハッとした。
ハハをおかしいと思っていいんだ。そっか、いいのか。
硬くて重い殻が一枚ポロッと剥がれた気がして、心が少し軽くなった。

+++++

3年ほど前、珍しく家族が揃った夕食時の会話。
「自殺サイトで知り合い、集団練炭自殺」のニュースを見て。

チチ「ネットで知り合っただけで意気投合するなんて、わけがわからない。
   何故、生きようとしないのか」

 私(チチに対して)
  「意気投合しているんじゃないよ。
   生きる意味がわからなくて、
   死ぬ方法が同じなだけだよ」

アニ(チチに対して)
  「自殺するサラリーマンの数は、毎年ある程度の人数はいるんだ。
   ただ、自殺サイトによって
   死にやすくなって、人数は増えたかもしれない」

ハハ「私は生きるのがつらいわよ」
  (誰に向かってでもなく、テーブルを見つめながら真顔で)

   だったらさっさと死ねばいいのに
   (私の脳内を一瞬かすめたコトバ)

恐ろしいことを思うヤツだ、私は。
字面だけ見れば、ハハを憎んでいるみたいだけど、そうでもない。

受け止めきれないから。
ハハはこういう言葉を口に出すことが多い。誰も反応できないくらい、重い。
誰も、笑いに転換する術を知らない。ダウ◯タウンの二人でも無理じゃなかろうか。
重たく冷たい空気に気づかぬフリをするだけで、せいいっぱいだ。
家族が揃っている空間は、いたたまれなくなるくらい苦しい。

+++++

私は、チチやハハから連絡がくることが、恐怖。
メールも手紙も電話も。
食べ吐きしていた頃は、その一通が「衝動」の原因になった。
連絡の内容は受け流していい、と診察で言われるとホッとする。
手紙類は読まないことはないけど、保管することはほとんどない。
つまり、捨てる。

+++++

私の摂食障害は、家庭環境から発症したものだけど、
どこの家族も、いろんな問題を抱えている。
うちだけ特別に歪んでいるとは思っていない。
ハハの病気原因のひとつには、ハハの育った環境も影響している。
そんなもんだ。

よく思うことは

私は
チチハハが死んだとき、悲しいだろうか。
見慣れない現実を目の当たりにして、一瞬、泣くことはあっても。

 悲しいだろうか。



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助けて

+ 私は病気? +

過食症の「衝動」は “食欲”とは違う。
朝昼晩の食事と、衝動を抑えきれず「食べる行為」は別物だ。

「私は病気だ」と自覚はあっても、食べ吐きは続く。
そりゃそうだ。
治療らしい治療を受けていないのだから。

あの頃は現在みたいに
ウツやPTSDなどの言葉がテレビで頻繁に取り上げられていなかったし
心の病いを題材にしたドラマなんか、なかった。
「精神科へ行こう」なんて、私のなかではすぐには結びつかなかった。
クスリの服用も必要な病気だ、という知識もなかった。
「私は病気だ」というよりは「私は変なんだ」という意識が強かった。

過食のことは、誰にも話したことはなかった。
日常の生活もそれなりに普通にこなしていたし、
友達と遊び、恋愛もした。
「自分が弱いからだ、意思を強く持てば、食べなくなるはず」
と思っていた。

過食症について、本屋で立ち読みしたり、ネットで調べたりすることはあった。
「親の愛情に飢えていることが原因です」
「吐くことは、寿命を縮める大変危険な行為です」
なんとなく理解できても、病院へ行くことには結びつかなかった。
そして、食べ吐きをした後に、
後悔し、「危険な行為」をしてしまったと、ただただ怯えていた。

大学を卒業し社会人になっても、病気を隠して生きていた。
デートもしていたし、友人と遊びに行った。飲み会にも行っていた。
でもすぐに、家に帰りたい気持ちになる。
帰宅途中に食料を買い込み、部屋に帰ったら食べまくり、
居酒屋で食べた分も出すぞ的な勢いで、泣きながらトイレで吐いていた。
平日の夜も食べ吐き、
休日の予定がなければ、食べて吐いて眠ってまた食べて吐いて、の繰り返し。

・・・ホント、よく死ななかったな。



そんな生活、苦しかった。やめたかった。
でもやめられない。
「衝動」はどうやっても、止められない。

『 助けて 』

メンタルクリニックを探した。ネットで。それが1999年。

はじめての診察。
名前を呼ばれて、私は診察室のドアを開けて入るなり、
しゃがみこんで、号泣していた。
自分でもビックリだ。泣いている場合じゃない。これじゃ何も伝えられない。
でも先生は
私が話せる状態になるまで、黙って待っていてくれた。

「ずっとずっとずっと、食べちゃうんです。止められないんです」

そんな感じでこれまでの経緯を泣きながら話した。
食べ吐きが始まってからの年数が長いと知って
先生が、ふと質問した。
「じゃあ、吐くのは簡単?」
「いえ、指を使います」
と答えた。
なんとも面白い会話だ。ちょっと気持ちがほぐれた。

そして先生は言ってくれた。

「あなたはとても長いあいだ苦しんできて
 自殺もしないで、よくがんばってきましたね」

「食欲を抑えるクスリはあるんですよ」

通院と、クスリの服用が始まった。

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| ショウガイ | 23:51 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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はじまり

+食べ吐きのはじまり+

私の摂食障害の発症は、十代なかば。正確にはよく覚えていない。
中学と高校で同じ制服だから余計、記憶があいまいなのだけど
とにかく、学校の制服着ていた頃だった。

食べはじめていた。
学校から帰ってきて、戸棚にはいっていた食パンを
自分の部屋に持っていって制服を着たまま、食べはじめていた。
そんな感じだった気がする。

今ならこういう表現が使える。

「衝動」

食べたい衝動。抑えられない食欲。

それまでも、夕食後にポテチなどお菓子は食べていたけど
発症後は、満腹感がいつまでも得られないから
誰も見ていない隙に
冷蔵庫や戸棚にある食べ物を、部屋に持ち込んで食べていた。

ハハは気づいていた。食料が減るから。
その頃はもうハハも病んでいて、カウンセリングみたいものを受けていた。
で、私に薦めた。
「そこへ行きなさい」
「ヤダ」 その一言で片付けた。
だって私は自分が病気だなんて、思っていないから。

それで
学校帰りに、自分でスーパーで食料を買い込んで
その買い物袋を見つからないように隠しながら部屋に持ち込み
食べていた。

トイレで吐くことも覚えた。
それは「太りたくない」という思春期ならではの気持ちが発端だったと思う。
毎日、食べて、吐いた。
もちろん、それが心の病気だなんて思いもしなかった。

大学生の時、仕事の関係でチチハハだけ引っ越した。
離れて暮らすことになり、
隠れて食べることもなく、さらに症状は酷くなった。

過食症の人のブログで、食べた内容を記録している人って、
すごいな。
あの頃、私がブログやっていたとしても、それはできなかったと思う。
でも、手帳にメモをとっていた時期はあったな。
あまりに長い年月食べ吐きしていたから、いろんな記憶がごっちゃになってる。
ひどかった時期は、一回に食べる量はこんくらいだったかなぁ。

ミートソーススパゲティ(コンビニ弁当)
オムライス(コンビニ弁当)
チャーハン(コンビニ弁当)
食パン 1斤
ビスケット 1箱(マリーとかチョイスとか)
ポテトチップス 1袋
アイス 1パック(ファミリーサイズ)
コーラもしくは炭酸飲料

2時間弱かけて食べてた。
で、吐く。
吐くのが楽な人もいるんだよね。指も使わずに、苦しまずに吐ける人。
私は苦しかった。指使って、涙目になって吐いてた。
胃に残したくないから、最後までふりしぼる気持ちで。
とても苦しかった。

吐いた後、動けなくなることもあった。
貧血みたいになってフラフラで、横たわっているしかできない。
意識を失うように1、2時間眠って、目が覚めると
また食べたくなる。
フラフラなのに、食料買いに行って、
2時間かけて、食べ吐き。
倒れるようにして、眠る。
休日はそれを、2、3回やることもあった。

大学時代も社会人になっても、そんな生活だった。
若いから、体力がもったんだなぁ。
よく死ななかったと思う。

ハハのカウンセリングっぽいことやっている人に会おうと思ったのは、
大学生の時。
「私は病気なんだ」 やっと自覚した。

何回くらい通っていただろう。
行くたびに、泣いていた。泣きながら話しをしていた。
でも、その人はボランティアで話を聞いてくれる人だったし、
ハハも知っている人だし、
自分の内にたまっている、わけのわからない苦しみを
すべてぶちまけることはできなかった。
ぶちまける方法さえ、わからなかった。
つまり、治療とはほど遠い環境だったんだ。


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ショウガイ「それ以上の恐怖」

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| ショウガイ | 23:17 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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ショウガイについて

ショウガイ … 障害 … 摂食障害

ブログに書けるということが、私にとって驚くべき進歩。
過食
このコトバを口に出すことは絶対にできなかった。
親にも友人にも誰にも話したことはなかった。
いや今も、親の前でそのコトバをまともに使ったことはない。
はじめてこのコトバを口にだしたのは、メンタルクリニックの診察室(1999年)。

昨年(2007年)の秋頃だったか
兄と電話で話していた時
「私、過食は治ったよ」
と告げた。
自分でもビックリした。
『あ、話せた』
このことで、過食嘔吐の恐怖がぐんと遠のいた。

この「ショウガイ」のカテゴリで綴っていく内容は
乗り越えたこと、もしくは
乗り越えようとしていること、になると思う。
記事をアップした後、私自身がそのことを後悔せず、
落ちる(精神的に落ち込み、憂鬱状態になる)ことなく、
日常を過ごしたい。
という希望。
笑って過ごせれば、なお、いいね。

コメント欄は閉じます。
苦しみをわかってもらおうとか、
摂食障害を知ってくれ、という意図はないから。
そして
私は治療中だし(今は主にウツ症状)
今、摂食障害で苦しんでいる人からコメントをいただいた場合、
軽々しくお返事することはできないから。

もし、今現在、摂食障害で苦しんでいる人が
私に何か言いたいこと質問したいことがあったら
感じたことをそのまま、病院の先生に話してみることをお薦めします。

もし、今、過食や拒食で苦しんでいて
病院へ行こうかどうか迷っている人は
メンタルクリニック、もしくは精神科、心療内科へ
行こう。

私は苦しくて苦しくてどうしようなくて、助けを求める気持ちで
ネットで探して、メンタルクリニックへ行った。
その初診の時、先生は言ってくれた。

「あなたはとても長いあいだ苦しんできて
 自殺もしないで、よくがんばってきましたね」


「食欲を抑えるクスリはあるんですよ」
この一言に、心底ホッとした。

そして今を生きている。

ショウガイ … 生涯 … 生きている間・一生・生命




今日はこのへんで。

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ショウガイの2「はじまり」

| ショウガイ | 23:46 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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08年5月頃観た映画

2008年5月頃に観たDVD

「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」
製作総指揮:ティムバートン
 人形アニメってことを忘れる。面白い。お薦め。
 これを、幼少の怖がりの頃に見てたら、ホラーだと思って嫌いになっていたかも(w


「フライ・ダディ」
チェ・ジョンテ監督、イ・ジュンギ、イ・ムンシク
 岡田准一主演の日本版を見たので、こっちも。
 絵的には日本版の方が、綺麗かな。
 主演のイ・ジュンギがカッコイイ。
 スンスクに教えを請う父親役のイ・ムンスクが
 おなかぽっこり太った体型から締まった体型に、ホントに変わってゆく。
 これはスゴイ。
 お薦め。


「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」
本谷有希子原作、吉田大八監督、
佐藤江梨子、佐津川愛美、永作博美、永瀬正敏
 キャストがばっちり。面白い。お薦め。
 ストーリー展開はブラックユーモアなんだけど、
 観終わると、ホロッとした気持ちになった。

| 映画 | 23:32 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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夢日記0522

トイプードルと一緒にいる。
ピンク色。毛が。全身ピンク色のトイプードル。

そのプードルを囲んで、いろんな人がいて、外国人もいて、
みんなそれぞれに違う名前で、プードルを呼んでいる。
私はなぜか
「そのコとこれから一緒に暮らすのだ」
と、思い込んでいて、私もそのコの名前を呼ぶ。
私と暮らさないと、そのコの運命がとんでもない方向へ行ってしまう。
死んでしまう。殺されちゃう。
私のところへ来るのよ。
呼ばなきゃ。

呼んでいた。
大声で。


自分の声で目が覚めた気がした。
なんと叫んだか、なんという名前だったか、
覚えていない。

夢日記


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| ZZZ | 00:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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08年4月頃観た映画

「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」
ストーリー:
1975年イギリスで衝撃のデビューを飾った、
伝説の結合体双生児バンド「ザ・バンバン」。
過激なステージ・パフォーマンスと恐いほどの美しさで、
一気にスターダムにのし上がるが、
ある女性との出会いを境に二人の歯車は狂い始め、
徐々にアルコールとドラッグに溺れていく・・・。

監督:キース・フルトン、ルイス・ペペ
 作られたドキュメンタリー映画だけど、惹き込まれる世界観。
 双子の青年、それぞれの瞬間の表情が見逃せない。



「龍がごとく 劇場版」
三池崇史監督、北村一輝、岸谷五朗

 ゲームはやったことないけど、映画として面白い。お薦め。
 五朗ちゃんがいい。 
 サエコもいい女優だなぁと思った。



「こわれゆく世界の中で」
アンソニー・ミンゲラ監督、ジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ

 ジュリエット・ビノシュとジュード・ロウ、で借りた。
 この俳優陣に興味があればお薦め。ストーリーは、うーん?
「存在の耐えられない軽さ」でジュリエット・ビノシュを知ったっけ。
 パッと見は年取った印象があるけど、
 そんなものをぬぐい去る、彼女の醸し出す空気はさすが。



「銀幕版 スシ王子!〜ニューヨークへ行く〜」
堤幸彦監督、堂本光一
 劇場で観賞。面白い!お薦め。

| 映画 | 22:59 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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夢日記0516

マンションに住んでいる。
違う階に、リョウシンが住む。
部屋にあるインターフォンのような機能で、
スイッチオンにするだけで、会話ができる。

リョウシンの部屋のスイッチが
オンになったままになっていて、ふたりの会話が
自分の部屋にいる私に、ぐーぜん聴こえてきた。

チチが怒鳴っている。
私には聴いたことがないような、怖い声。
なにか失敗をしたハハに向かって
怒りをぶつけていた。

怖い。

けれど、これがリョウシンの日常なのだ。
きっと、そうなのだ。
チチの怒声がいつまでも耳にこびりついていた。

夢日記


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| ZZZ | 00:15 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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テソーミ、のつづき

ほぼ日 クリックでわかる、じぶんでテソーミ
http://www.1101.com/maaco/tesomi/index.html

やればやるほど、他人事のように思えてきた(笑)
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でも、私は私のことをそんなにキライじゃない、って気づいた。
だって、ネイルしたり新しい服が欲しくなったり、
そんな気持ちも、自分を大事にしてる証拠だもん、ね。

にしても、結局“神様”がでてきて唖然(爆)
・あなたの未来予報 2008.5.15.

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| シンダン | 00:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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テソーミ、のつづき

いろんな線があるようだけど、
生命線が短くてもいいから、
ユーモア線がはっきり現れてくれたらいいや、と思う。
ほぼ日 クリックでわかる、じぶんでテソーミ
http://www.1101.com/maaco/tesomi/index.html

なんかもう一気にやっちゃうか、と思って(笑)
・才能と仕事、社会とのかかわり編 2008.5.15.

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| シンダン | 00:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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テソーミ、のつづき

ネイルをしている人は、とってからがいいよ。爪もみるから。
ほぼ日 クリックでわかる、じぶんでテソーミ
http://www.1101.com/maaco/tesomi/index.html

運命線はどっちかというと、
左より右手のほうがはっきりしている気がするが???
テキトーにスルーして。長いし。
・あなたをとりまく人々 2008.5.14.

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| シンダン | 00:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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テソーミ、のつづき

ほぼ日「クリックでわかる、じぶんでテソーミ
http://www.1101.com/maaco/tesomi/index.html

0511mc-te

・あなたの恋愛傾向
・恋愛と結婚を読む!編

メモとして残すだけ、長いし、テキトーにスルーすべし。

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| シンダン | 23:31 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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テソーミ

ほぼ日「クリックでわかる、じぶんでテソーミ
http://www.1101.com/maaco/tesomi/index.html

解説図も参考にしながら、自分の手のひらを見つめ、
チャート式設問に解答していくのだけど。
どの線を“コレ”と見分けるのか、難しい線もある。
いろんな現れ方があるんだなぁ。
考えてみたら、自分以外の人の手のひらをじっくり見たことない。

線の出方は変化するから、ちょいとじっくり見ておくのも面白いかも、
と思ってやってみる。
私の今後に恋愛も結婚も無いだろうけど。
そんな人間の診断はどう出るか。
とりあえず順番に3つやってみた。

・ほんとうのわたし編

メモとして残すだけ、長いし、テキトーにスルーして。

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| シンダン | 23:29 | comments:3 | trackbacks(-) | TOP↑

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夢日記0503

プールくらい広いガラスの水槽のそばにいる。
とても広く、大きさも深さもわからない。
うねるように水は動き、透明で青い。

水槽の周りというか淵には、私のほかにも人がいる。
友人もいる。日本人と外国人の男性。

音楽が聴こえている。
洋楽のロック、私にだけ聴こえているのかもしれない。
私はその曲を聴きながら、口ずさみながら、
サビ部分になると、水中深く潜りたくなる。
服のまま、
うねり動く青い水の中に飛び込み、
水の動きに抵抗しながら、より深いところへ潜る。


もう息を止めていられない。
苦しい。
私が沈んでいることに、誰も気づいていない。
悲しい。

もがきながら、水面へ上がる。
友人たちは、全身びしょ濡れの私に気づくが
なにも訊こうとはしない。

音楽は鳴り続けていて、サビ部分がまた巡ってくる。
私は青い水に飛び込み、深く深く沈もうと懸命になる。
そのことに、友人たちは気づいていない。
水はうねり動いているので、ひどく疲れる。
もう、だめだ。
苦しい。

それでも私は息を止めながら、水面を見上げ、
ずっとここにいてもいい、と感じた。

音楽のサビ部分が巡る。
息を止めるのをやめた。呼吸をしてみたのだ。
私は呼吸できていた。
深い深い青い水の中で。らくに息をしていた。

「死ねないじゃん」

そう思いながら、キラキラ光る水面を見上げていた。

夢日記

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| ZZZ | 00:10 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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