私は自分の声が嫌い。
小一の頃だったかな。
さっき私が話した同じ言葉なのに、カセットテープに録音されたその声は、
他人の声だと思った。マジで。
自分の声だと思わなかった。ショックだったなぁー。
それ以来コンプレックスになった。甘ったるく子供っぽい自分の声。
ふわりの動画を撮りはじめた頃、声も入れることに抵抗があった。
再生して自分の声を聴くたび、げんなりした。
でもそのうち、どうでもよくなってきた。
おもしろければいいじゃん。
目眩が酷くなって退会するまで長い間、ジム通いをしていた。
きっかけは怪我のあとのリハビリ、腰痛防止の筋力アップだった。
そのうちエアロビクスやボクシングエクササイズにはまった。
どのプログラムも、最初は下手くそ。
スタジオの隅でウロウロ動きながら、したたるのは冷や汗ばかり。
無様な格好の自分を鏡で見ながら、上手い人の動きに憧れた。
体育は、小さい頃から成績表のなかで一番悪かった。
どんくさいし、体は硬いし、かけっこはビリ。
運動は苦手。でも、そんなのどうでもよくなっていた。
楽しめればいいじゃん。
そのうち、ボクシングエクササイズは、一番前でできるようになっていた。
上手な人はそれが許される(ジムの暗黙のオキテ)
鏡が見えにくい後ろの人の、見本にもなるから。
インストラクターのすぐ横の一番前の床、私がいつもいる場所を、
少し遅れてスタジオに入っても、参加者の方たちが空けてくれていることもあった。
でも、動きを間違えても、ぜんぜん恥ずかしくなかった。
笑ってごまかしながら、ただ楽しんで汗をかいていた。
ジャズ
ダンスのクラスにも参加するようになった。
ダンスって下手だと、無様(ぶざま)そのもの。
先生の動きと同じにしているつもりが、何もかも違う。
手先から足先まで。何もかも。
映画「オール・ザット・ジャズ」のワンシーン、
オーディションに参加したたくさんのダンサーに混じり、
とても下手な男性ダンサーがクロースアップで映る一瞬がある。
あのシーンを見るたび、「あ、私がいる」と思う。
同時に「あなたは
ダンスが好きなんだね、踊りたいんだね」と感じる。
ブザマな自分を鏡に映す。目をそらさずに必死に見つめる。
先生の美しい動きに少しでも近づけるように。音楽を表現できるように。
私にもそれができるかも。
そして、スタジオの外から見つめることしかできなかった誰かが
下手っぴな私を見て、「踊りたい」って思うかも。
私がそうだったように。
『 みろよ そらは ひろ~い 』
で終わる「かもしれないたいそう」
からだであそぼの1コーナー。最近はまっている。
朝7時半から10分間、教育テレビ必見。詩曲振付けは近藤良平さん。
見ているだけじゃもったいない。動いてみるべし。
笑われてしまえ
楽しけりゃいいじゃん
笑われてしまえ
誰かが笑顔になるなら