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癒しと軽視(平成最後の長文)

ご訪問いただきありがとうございます
今日は全員登場します
内容は長めの文章です、平成最後の長文です 笑

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外で生きる猫が増えないように
お住いの地域の猫に目を向けてみませんか?
里親探しのみでは解決しません
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飼い猫も外猫も不妊手術を

もちろん飼い犬もね

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マイクロチップも入れよう

犬には鑑札と注射済札と名札とマイクロチップを!

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平成が終わり令和という新しい年号が始まるまで
あと7日間

わたしなりに様々なことがあった平成だけど
ジロウ(犬)という家族が増えたことも大きな出来事です
「高齢者とペット」を巡る問題について
最近思うことを書き留めておくことにしました

じつは昨年末に
両親が再会を望んだので、ジロウを両親の家に連れていきました
その時の写真は一枚も撮っていません

手荷物切符を買う窓口で、すでに鳴き始めたキャリー内のジロウは
電車移動中も鳴きっぱなしでした(予想どおり)
そして両親宅では、わたしの後を追って行動し
両親に対してジロウが愛想を振りまくことはありませんでした

「テーブル上の食べ物をもらう」悪習慣を治したので
両親に対してどう甘えたらいいのか?
ジロウは混乱していました

そばに寄ってこないジロウを見て
「こんなに頭の悪い犬だとは思わなかった」と父は言い
気を引くために大声で怒鳴ったりしました
怒り口調で大声で名前を呼ぶのは、一番やってはいけないことで
ジロウをさらに混乱させるだけでした

母に至っては「猫が飼いたい」と言い出しました
(その後、癒しロボットを迎えました

ジロウに慕われていると信じてきた父は自尊心が傷ついたでしょうし
母は、ジロウと同居できない=生き物の世話ができない、と理解できておらず
これまで「私は猫は嫌い」と言い続けてきたにもかかわらず
ペットロスの寂しさを埋めるために
犬が無理なら猫で、という発想になっていました




- 高齢者のペットロス -

高齢者と、それよりも若い年代とでは
ペットに対する考え方や可愛がり方に隔たりがあるにせよ
「高齢者とペット」にはそれだけではない問題が起こります
適正飼養に必要な
観察力・想像力・判断力・記憶力・行動力が
老化により衰えるからです
(→コチラの記事で触れています)

そして、入院や施設入居などでそのペットと別れる場合
(→ジロウを引き取る経緯
ペットを看取る経緯がなく
共に暮らせない理由は「自分が世話ができないから」
と、納得しなければなりません

そばにペットがいない現実・押し寄せる寂しさ・自分が出来ないことを直視することは
●気持ちの処理が困難
●自尊心が傷つく
という、後期高齢者にとっては厳しい精神状態で
ペットロスの日々を過ごさねばならないのです

うちの両親は、ジロウの前に飼っていたタロウ(同犬種)を老衰で看取っています
もしジロウがいなくても、タロウ亡き後8年経った今はペットロスの寂しさは癒えていたはずです
現在の、年老いた両親の「ジロウがいない」ペットロスの寂しく辛い日々を
誰も想像できなかったのです




ジロウがうちの子になり、もうすぐ1年経ちますが

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 うちに来た頃のジロウ

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 最近のジロウ


両親のペットロスの精神状態には、今も気を使って接しています
ジロウの話をわたしから持ち出すことはなく
両親もわたしにジロウの様子を聞くことはほとんどありません
「自分たちには飼えない」と直視することを避けているように見えます

老後をペットの〝癒し〟と共に、と考える場合
若年層より回復が困難な高齢者のペットロスを軽視せずに
慎重に考えて欲しいです



- ペットの命の軽視 -

ペット(どうぶつ)が受けるストレスはどこまで許されるのか?
人によりその基準が様々なので
「不適正な飼育環境である」という判断よりも
「癒しが得られることが必要」という意見が通ったりします

たとえば、後期高齢者と同居していない家族が
「ペットの存在で癒されながら長生きして欲しい」と願った場合
・動物のストレスサインに気づき、適正飼育できるのか
・家族はペット可物件住まいか
・家族はすでにペットを飼っているか
・高齢者のペットロスは若年層よりも回復が困難
・飼い主が変わることによる動物への負担
を考慮することが必要です

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 両親宅にて2015年撮影
 室内で鎖で繋がれていたジロウ
 会うたびに「繋ぐのをやめて」と父にお願いしていた
 トリミングサロンに連れて行かず父がカット


いざ、後期高齢者が飼えない状況になった時には
そのペットロスへの対応も必要ですし

もし、家族がペットの引き取りが不可能な場合
新しい家族を探すことは、決して容易なことではありません
(ジロウのようにトイレ躾されていない&吠えて要求する成犬は
 再トレーニングが必要で、里親探しに時間がかかります)

ペットにとって一番負担がかかる出来事は、飼い主が変わることです

それを前提として高齢者が飼い主となるなら
いずれ訪れるその動物への大きな負担が、なるべく少なくなるように
高齢者との同居段階から工夫と配慮が必要です



うちに来てから始めたジロウのダイエットは
今も続いています






「高齢者とペット」の問題には
ヒトの〝癒し〟のために
どうぶつの〝命の軽視〟がされている場合があると同時に
高齢者のペットロス・その家族の人生にも大きく関係し
それは〝人生の軽視〟にもなりかねないのです

大げさだと思いますか・・・?

つづきます






ちょこっと愚痴が入るけど・・・
どこの家でも起こりうる問題を含んでいると思うので
さらに書き綴ります

じつは、年末年始にかけて
処方薬の種類を変えてもらうほど、わたしはひどく落ち込んでいました
ジロウの件に端を発するペット飼育について
家族間で考え方に隔たりがあることが原因です

猫の保護や里親捜しなどをやっていると
どうぶつへの思い入れが強すぎるという偏見を持たれがちです
そのことも踏まえて、家族における自分の立場をわきまえつつ
言葉を選んで自分の意見を伝えてきたつもりです

ところが、両親に子犬(ジロウ)を飼うことを勧めた兄が
反対したわたしの意見をいまだに受け入れようとしないのは
わたしのこれまでの人生を、兄なりに想像して
「そのような意見を言える立場ではない」と決めつけていたからでした
ペットの癒しが必要な(=お前に比べて苦労が多い)俺の考え方に口出しされたくない、と言われました

考えてみれば、兄は大学入学と同時に家を出ており
その後のわたしの人生を知りません(それはお互い様とも言えます)
わたしにとって、兄含め家族という存在は
会いたいとか話したいという対象ではないので
何も見せずに話さずに生きてきましたから、知らなくて当然です
・・・それはそれとして




「ペットの癒しは何物にも変えられない」という
依存とも言える兄の思い込みは
年老いた両親にも犬の癒しが必要だ、そして
子犬からでも問題なく適正飼育できる、という考えにつながっていました




感情優先で「なんとかなる」と兄が軽く考えていたことは明らかで
両親宅へ日帰りできる距離のペット可物件に住むわたしが
その犬を引き取ることを「なんとなく想定」していたとすれば
兄はわたしの人生を軽視していたことになります

文章の下手さゆえ誤解されないように付け加えると
兄に対する恨み辛みを書いているのではありません

親を想う気持ちから
「年老いた両親にペットの癒しを」
わたし(既に猫2匹いる)がジロウを引き取ることになっても
「大変だろうけど、癒されるからいいじゃないか」
という、感情に委ねた考え方
とても危険だと思うのはわたしだけでしょうか?




人の〝癒し〟のために
どうぶつの〝命の軽視〟がされているのは
野良猫の繁殖、多頭飼育崩壊、飼育放棄によるセンターへの持ち込みなどの
ペットのあらゆる問題の原因でもありますが

高齢者とペットの問題においては
高齢者自身と、周辺の近しい人達の
〝人生の軽視〟にならないように、飼い始める前に熟慮が必要です




わたしはうさぎを看取った後のペットロスを2回経験しています
サヤ・タイガ(猫)をうちの子にしてからは
看取った後の喪失感は想像を絶するものであろうと覚悟しています
通院や処方薬の量が増えることも含めて、です
今は、ジロウの存在もその覚悟に加わりました

彼ら(サヤ・タイガ・ジロウ)が寿命を全うしたとして
その頃の自分の年齢を想像し*
ペットロスの日々を
医師や薬の助けを借りながらでも
生きることを諦めないようにしよう
それだけは忘れないようにしよう、と思っています

コチラの記事の最後の方に書いています




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この画像を載せた記事はコチラ

最後までお読みいただきまして
ありがとうございました






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